結婚して、家を持った場所は、
実家から車で1時間半でした。
私は、子供たちが保育園に入るまで専業主婦でしたので、
まだ幼少期の子供たちを連れては、
実家に遊びに行きました。
実家では父も母も、子供をとても可愛がってくれまして、
その様子を見ることは、私の癒しでした。
幼少期は子供を連れて行きましたが、
小学校の高学年ともなると、子供も友達遊びが楽しくなり、
中学に入ると、友達優先になり(笑)
私が一人で、両親の顔を見に行くことも増えてきたのですが、
私の両親は、晩御飯の支度になると、
二人一緒にキッチンに立ちます。
多くを語らずとも、息の合った二人の様子は、
長年の夫婦の歴史を感じさせられるものでした。
父が先を行き、
母がそれに調子を合わせて手助けするような・・。
私は、その二人の様子をそばで見ているのが好きで、
キッチンに追いかけて行っては、
他愛のない話しをしていました。
かつて、結婚する前の私は、
母と葛藤があった訳ですが、
子供が生まれたことで、女同士としての会話も増え、
関係が癒されていったのです。
晩御飯が済んで、三人でお茶をいただいていると、
父と母の何気ない日常会話のひとときが始まります。
今日、町内会で誰々さんがどうした、とか、
庭のバラの選定がどうだとか、
今日は何の野菜が採れたとか・・。
それは、こうだったんだろうねえ・・・、とか、
ほぉ~、それは誰誰さん、良かったねえ・・・、とか。
ひとつひとつ、なんてことはない話しではあるのですが、
私は、その言葉のやり取り一つ一つを、
何気なく聞いていて、
不意に、涙が込み上げてきたことがありました。
・・興味を持って、ゆっくり聞いてもらえていること。
・・ちゃんと、的確な、実感ある反応が、返ってきていること。
・・理解してもらえること。
・・一緒に考えてもらえていること・・・。
ごくごく普通のことであるのに、
自分の不意の涙から、
自分の感情が、堰を切って溢れて来るのを感じました。
・・・私の中には、寂しさが蓄積していました。
帰り道をひた走る車のフロントガラスから、
青い道路標識が見えます。
自宅の方向を指し示しています。
そこに向かって走るのですが、
涙がこみあげてきて・・・
私は、帰りたくない・・・
心の通い合いがない家になんか、帰りたくない・・・。
そんな思いが込み上げてきました。
でも、子供がいますので、そんなことも言ってられません・・・。
ハンドルを握る私は、車中誰にも見られず泣きはらし、
自宅に帰れば、
子供に心配をかけたくないので、
何事もなかったように明るく振舞っていました。
夫には当時、私が実家で感じたことを話したのですが、
何を言っているのかわからない、という印象でしたし、
「人と比べるな」、というような言われ方でした。
今、の私は、数々の経験を踏まえながら、
夫の心に
’刺さるよう’、
’わかるよう’、
昔の自分が言葉にできなかった、
何とも言えないモヤモヤとした気持ちを、
より端的に伝えるよう、トライ&エラーを繰り返しつつ、
’一石’を投じています。
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